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東海村臨界事故への道 [本]

「払われなかった安全コスト」という副題で、JCO臨界事故の概要を述べている。
単にJCOの責任にするのではなく、JCOがそうせざろうえなくなったいきさつを、国、動燃の責任を見据えながら説明している。

著者の七沢潔さんは、NHKで番組制作の担当者として、このドキュメンタリーを作成したが、なぜかその半年後に放送文化研究所というところへ異動。

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著者と横川氏との会話から(9月29日夕方に篠原さん、大内さん、横川氏の3人で釣りに行った時を思い出しながら)

よく釣れましたか?
あんまりよくなかった。いしもちが2尾くらい。小さかったな。
3人でどんな話をしたんですか?
篠原も久(大内)も、昔の魚のソーセージが好きだっていうんだよ。俺は小さいころから魚のソーセージばかり食べてきたからもう嫌だ、ってそんな馬鹿な話だったな。
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横川氏より(9月30日事故発生時)

光ったのは一瞬だけでした。また、バシッという音と青白い光と全く同時にエリアモニターという呼ばれる臨界警報が鳴り響きました。これらが一瞬のうちに起こった現象を見て、私は「臨界だ」と直感しました。私は、椅子から立ち上がったのですが、そのとき還元室の沈殿槽のほうから篠原と大内がびっくりしたような顔をして出てきました。・・・・・そして、篠原も大内も、何が起こったのか分からなかったらしく、それも目の前で青白い光を見て異常事態が発生したとは思っていたようで、二人とも「どうしたんだろう?」などと言っていました。
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ヘリコプターの中で若い二人は携帯電話で自宅に連絡していたという。篠原氏は「今日は帰れないので子供病院に連れていけない」と話し、大内氏も実家に預けている子供を迎えにいけなくなったと話していた。やがて三人は、千葉にある放射線医学研究所(放医研)に到着した。ここで、三人は着ていた服を全部脱がされ、治療用の服に着替えたが、それが三人でいる最後だったという。
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その後わずか4行で、前に紹介した「被曝治療83日間の記録」の全内容がまとめて(?)ある。




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コメント 3

ミノ〜+

引用を読んで、何気ない日常でこんなこともあったんだなぁと思い、あらためて突然の事故を怖いなぁと感じました。
放射線に対する知識の問題、安全対策、このような事件を起こしてしまった国やJCOの体質を考えさせられます。
by ミノ〜+ (2010-12-14 23:37) 

NO NAME

せつな過ぎる二人の犠牲者に心が痛みます。
企業や国の無責任さに腹立たしい。
by NO NAME (2011-03-18 03:43) 

m

ミノ~+さん。NO NAMEさん。コメントありがとうございます。
大内さんも篠原さんも仕事として「普通に」働いているうちのこの惨事に会いました。
今回の福島第一発電所の事故についても、共通のものを感じています。
私たちは「今日までと同じ明日がこれからも続いている」と信じて疑いませんが、今回の震災を通じてもいろいろなことを考えさせられました。
by m (2011-03-21 18:09) 

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